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連載 味覚の航路① -BACK TO THE 1985-
みなさんは自分で初めて作った料理は何か覚えていますか?
おそらく多くの答えは「分からない・覚えてない」か
あるいは幼少期に親の横で手伝いの際に作ったかではないでしょうか
私は後者の答えで
しかも何を作ったかはっきり覚えているのです
”柿と魚肉ソーセージの炒め物”・・・!?
衝撃的で刺激的で絶望的
しかも自分では食べた記憶が無いから
親が食べてくれたのか
はたまた・・・
小学4年生の時
両親は共働きで学校から帰っても不在なので
夕食までは兄と二人で遊ぶ日々
決して裕福とは言えなくても一家団欒
楽しく過ごしていました
その日の夕食後何を思ったのか私は母に
料理をしたいと申し出たのです
食後だったのであるものでという条件で
冷蔵庫の中を漁り取り出したのが
先の柿と魚肉ソーセージ
柿は母に手伝ってもらいながら剥き
ソーセージは自分で包丁を使いぶつの切り・・・
サラダ油をフライパンに入れ火にかけ
暖まらない状態で材料を投入
見よう見まねで木べらを使い混ぜる
調味料は一切入れずただただ混ぜる
しかし私は集中していました
料理するという行為に高揚していました
何を使おうがどんな料理になろうが
母は何も言わず
パジャマを着て
椅子に上りままごとのように
混ぜ続ける私の様子を傍らで
見守り続けていました
この時の母が何を思っていたかなど
子供である私には知る由もありませんでしたが
子を持つ親になることで
理解できるようになりました
子が体験する感動は
親にとっても特別な瞬間だということを
そしてもしかしたらこの時すでに私の中には
料理を作る喜び
誰かに食べてもらう楽しみが
沸き始めていたのかもしれません
おそらく多くの答えは「分からない・覚えてない」か
あるいは幼少期に親の横で手伝いの際に作ったかではないでしょうか
私は後者の答えで
しかも何を作ったかはっきり覚えているのです
”柿と魚肉ソーセージの炒め物”・・・!?
衝撃的で刺激的で絶望的
しかも自分では食べた記憶が無いから
親が食べてくれたのか
はたまた・・・
小学4年生の時
両親は共働きで学校から帰っても不在なので
夕食までは兄と二人で遊ぶ日々
決して裕福とは言えなくても一家団欒
楽しく過ごしていました
その日の夕食後何を思ったのか私は母に
料理をしたいと申し出たのです
食後だったのであるものでという条件で
冷蔵庫の中を漁り取り出したのが
先の柿と魚肉ソーセージ
柿は母に手伝ってもらいながら剥き
ソーセージは自分で包丁を使いぶつの切り・・・
サラダ油をフライパンに入れ火にかけ
暖まらない状態で材料を投入
見よう見まねで木べらを使い混ぜる
調味料は一切入れずただただ混ぜる
しかし私は集中していました
料理するという行為に高揚していました
何を使おうがどんな料理になろうが
母は何も言わず
パジャマを着て
椅子に上りままごとのように
混ぜ続ける私の様子を傍らで
見守り続けていました
この時の母が何を思っていたかなど
子供である私には知る由もありませんでしたが
子を持つ親になることで
理解できるようになりました
子が体験する感動は
親にとっても特別な瞬間だということを
そしてもしかしたらこの時すでに私の中には
料理を作る喜び
誰かに食べてもらう楽しみが
沸き始めていたのかもしれません
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